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鄭氏政権 (台湾) : ミニ英和和英辞書
鄭氏政権 (台湾)[ていしせいけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
政権 : [せいけん]
 【名詞】 1. (political) administration 2. political power 
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 
: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 
台湾 : [たいわん]
 【名詞】 1. Taiwan 
: [わん]
  1. (n,n-suf) bay 2. gulf 3. inlet 

鄭氏政権 (台湾) : ウィキペディア日本語版
鄭氏政権 (台湾)[ていしせいけん]

鄭氏政権(ていしせいけん、1662年 - 1683年)は、17世紀台湾に存在した政権。への抵抗拠点を確保する為に、鄭成功が台湾を制圧する事で成立した。清の攻撃によって滅亡するまで20年強、台湾で初めて漢民族政権によって統治が行われた。
== 概要 ==

1644年李自成の反乱によってが滅亡し、混乱状況にあった中国満州族の王朝であるが成立した。これに対し明朝の皇族・遺臣達は「反清復明」を掲げて南明を興し、清への反攻を繰り返したが、1661年に清軍により鎮圧された。大陸での「反清復明」の拠点を失った鄭成功の軍勢は、清への反攻の拠点を確保する為に台湾への進出を計画、1661年3月23日に祭江を出発、翌24日には澎湖諸島を占拠しオランダ東インド会社を攻撃、4月1日には台湾本島に上陸し、1662年2月1日にはオランダ人の拠点であった熱蘭遮城を陥落させ東インド会社を台湾から駆逐する事に成功した(ゼーランディア城包囲戦)。台湾の漢民族政権による統治は、この鄭成功の政権が史上初めてである。
東インド会社を駆逐した鄭成功は台湾を「東都」と改名し、現在の台南市周辺を根拠地としながら台湾島の開発に乗り出すことで、台湾を「反清復明」の拠点化を目指したが1662年中に病没した。彼の息子である鄭経たちが事業を継承したが、反清勢力の撲滅を目指す清の攻撃を受けて1683年に降伏した。
歴史上の鄭成功は、彼自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、また台湾と関連していた時期も短かった。だが、鄭成功は台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いたこともまた事実である為、鄭成功は今日では台湾人の精神的支柱(開発始祖)として社会的に極めて高い地位を占めている。
なお鄭成功は清との戦いに際し、たびたび日本へ軍事的な支援を申し入れていた(ほんきっ)。しかし、鎖国体制を整えつつあった当時の幕府は火中の栗を拾うことを避け、支援は実現しなかった。
この戦いの経緯は日本でもよく知られ、後に近松門左衛門によって『国性爺合戦』として人形浄瑠璃化された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鄭氏政権 (台湾)」の詳細全文を読む




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